【深夜喫茶アオト】第十四夜 誰にも言えない手紙
※これは、完全なフィクションの短編小説です。
実在のお客様・店舗・出来事とは関係ありません。
眠れない夜に、少しだけ読んでもらえたら嬉しいです。
【深夜喫茶アオト】
第十四夜 誰にも言えない手紙
日付が変わる頃、雨が降り出した。
窓を叩く音が、店内の静けさを際立たせる。
俺はカウンターの奥で、珈琲豆を挽く準備をしていた。
ざらりと、豆がミルに落ちる。
その音も、雨音に溶けていくようだった。
真夜中の扉がゆっくりと開いた。
傘を畳む音。
一人のお客様が、そっと中へ入ってくる。
顔は伏せ気味で、濡れた髪が額に張り付いていた。
「いらっしゃいませ」
俺は静かに声をかけた。
お客様は、奥の窓際の席を選んだ。
メニューを手に取る様子もなく、ただ雨を眺めている。
「何か、温かいものでもいかがですか」
俺の言葉に、お客様はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、少し潤んでいるように見えた。
「…ホットミルクを、お願いします」
か細い声だった。
俺は頷き、ミルクパンを火にかけた。
白い湯気が、ふわりと立ち上る。
カップに注がれたミルクは、真っ白で、どこか慰めるような色をしていた。
お客様の前にそっと置くと、小さく「ありがとうございます」と聞こえた。
それから、お客様は鞄から一冊のノートと、便箋を取り出した。
ペンを走らせる音が、微かに響く。
俺は、カウンターからその様子を眺めていた。
時折、ペンが止まる。
指先で、書かれた文字をなぞる仕草。
何か、伝えたいことがあるのだろう。
しかし、直接は言えないこと。
そんな風に、俺は思った。
しばらくして、お客様が顔を上げた。
俺と目が合うと、少しはにかんだ。
「手紙を、書いているんですか」
俺は尋ねた。
お客様は、小さく頷いた。
「はい。でも、これは…誰にも渡せない手紙なんです」
声は、先ほどより少しだけ、しっかりしていた。
「そう、ですか」
俺は、それ以上は聞かなかった。
ただ、ミルクを飲むお客様の横顔を見ていた。
その手紙は、誰かに届けるためではなく、きっと自分自身のために書かれている。
そう感じた。
ペンが再び動き出す。
今度は、迷いなく文字が紡がれていくようだった。
雨の音だけが、ずっと続いていた。
やがて、空が白み始める。
雨は、いつの間にか止んでいた。
お客様は、書き終えた便箋をそっとノートに挟んだ。
そして、飲み干したカップを両手で包み込む。
「ごちそうさまでした」
その声は、もう迷いを帯びていなかった。
「ありがとうございました」
俺は、いつものように見送った。
お客様は、来た時よりも少しだけ、背筋が伸びているように見えた。
夜明け前の静かな通りに、その足音が消えていく。
誰にも言えない「ありがとう」を綴った夜。
その重みが、少しでも軽くなったのなら、それでいい。
深夜喫茶アオトは、今夜も始発まで開いています。